過去話はこちら
「まぁ!御使い様、一大事です!といっても本日はまだ女神様がいらっしゃっていませんので、まずはお茶でも一杯いかがですか?」
「ええー…」
夢の世界でオスカーとして覚醒すると、大袈裟すぎるドロシーの一人劇場が唐突に始まったと同時に幕が閉じてしまった。反応させる隙もなくモーニングティーを勧められて間抜けな声しか出せない俺とは違い、ドロシーはきびきびとお茶の準備をしてくれる。
二人でテーブルを挟んで淹れてもらったばかりの茶を口にする。今日は少し独特の酸味があるから、花の入ったお茶かもしれない。そんな考え方で一度気持ちを整えてからカップを置くと既に話を始められる姿勢でいたドロシーと向かい合った。
「それで、一大事って何かあったの?お茶飲む余裕あるくらいだから、そこまで大ごとではないんでしょ?」
「御使い様のドロシーへの信頼度を実感致しますわ」
ぽっと頬を染めながら恥じらうように喋るドロシーの反応はこの一ヶ月で見慣れた。
もう両手の指だけでは足りない回数分からかわれているという事実に空笑いしか出ないけど、今日こそは大丈夫だ。お茶も一杯飲んで一息ついてるし、多少突飛な事を言われても余裕で聞き入れる。
何故かドロシーは黙ったままニコニコ笑顔で立ち上がり、俺が初めて来た時にも使われた姿見を運んできた。
そこに映し出されたのは、黒髪のオスカーの姿だった。
「は……はぁっ!??」
「夜のような艶やかなお色でしょう?」
ドロシーによって濾過されて美しく評価されているが何の変哲も無い普通の黒髪だ。髪も短くなった事で生まれた既視感からオスカーの整った顔立ちが浮いて見える。
見覚えがある。この世界にやってくると思い出せない本来の俺の髪型と、そっくりだ。
「えっ、うわ何これ…」
「昨日までのプラチナのような銀色も美しかったですが、また趣があってお似合いですわ。御使い様はお好みではございませんか?」
「ドロシーがやったの?」
「とんでもございません。ここに訪れるのは私以外はおりませんので、一晩の間に御使い様のお体に変化が起こったのでしょう。女神様の御意志のままに」
「ええ…?」
女神さんの気持ちで俺の髪型が変わった?あまりにも無茶苦茶で現実味のない話だ。
あ、いや。そもそもここは夢の世界だった。
「御使い様の体の変化は女神様の望みを体現したもの。伝えられてきた話ですわ。女神様も御使い様の御姿を好んでいたのでしょう?でしたら、その髪も女神様のお望みになられたからですわ」
「でも、この髪が女神さんの望みだなんて、あり得ないよ」
「何故ですか?」
きょとんとドロシーは不思議そうに目を瞬かせている。
彼女の美醜に対する認識が俺と同じかはわからないけれど、少なくともオスカーに対して嫌悪感を抱いていた様子はなかった。俺と同じように普通以上に好ましいと思ってはいるはずだ。
「この髪型、元の俺の姿にそっくりそのままなんだ」
俺の回答にドロシーは不思議そうな顔をしていたが、気付いたようにパンと小気味良い音を立てて手を合わせた。
「では、女神様が本来の御使い様に対面したいと仰ったのはやはり心からのお望みだったのですわ」
そしてあっさりと俺が否定したい部分を、輝かしいほどの満面の笑顔で言い放った。
どくりと心臓が跳ね上がったような妙な気持ち悪さに言葉が詰まる。なんだか妙な汗まで出てきた。
「い、いや、だからあれは」
「いいえ!その髪が本来の姿とお認めになられたではありませんか。私にお話していただいた際に、御使い様は好奇心とか社交辞令だと検討をつけていましたが、やはり女神様のお言葉は本心そのものだったんですわ」
俺が女神さんと会って話していた事はある程度ドロシーに話していた。
彼女にとって女神さんは崇拝する憧れの存在らしく、疲れている様子を語れば心配そうに目を伏せ、今語ったように女神さんが何かを求めた話を語れば興味深そうに、何故か興奮気味ににやけながら聞いていた。
今はその時以上に興奮状態らしい。穏やかな語り口ながら饒舌な早口からそれは察せる。
「とり、とりあえず、落ち着いて」
「落ち着かなければいけないのは御使い様のほうでしょう?あ、女神様もきっと尋ねられますから、照れて誤魔化さずにきちんと伝えてくださいね?」
「んぐぅ……!」
めっ、とドロシーの人差し指の腹を鼻先に寄せられて、俺は顔を両手で覆いながらテーブルに撃沈した。
わかる、絶対今俺の顔は真っ赤になってる。
女神さんはしっかりした、聡くて優しい人だと思う。本人に自覚はなさそうだし、多分伝えても「過大評価が過ぎる」と謙遜どころか真っ向から否定してきそうな、ちょっと生きるだけで損をする人だと思う。
もっと人から優しくされて、大事にされるべき人だと、自分を大切にしてほしいと、大切にしたいと、そう思う。
そんな女神さんにオスカーの容姿を抜きにした本来の俺を受け入れてもらえて、興味を持たれて嬉しかった事は嬉しかった。平凡な外見にがっかりされたとしても、そのうちに「慣れたわ」なんて言ってくれそうだから、いつか現実で顔を合わせる事を考えていた。
そう、いつか、女神さんから実際に会ってみたいと言われたら、と。そんないつかの、未確定な未来の事だった。その間に覚悟は決めておこうと、そこそこ勇気が必要な事だったんだ。
なのに、こんな形で知るなんて、予想外すぎた。
オスカーの外見を女神さんがコントロール出来る事なんて、何も教えていない女神さんが知るわけがない。俺の変化の理由も、俺が伝えなければ女神さんは知らないままだ。
だからって、どう伝えたらいいのか。
「貴方が本当の俺に会いたいと願ってくれたから」と頭の中で文章にしただけで顔から火が出そうな事を、俺が説明しろと!?
無理、無理過ぎる。こんな形で女神さんの本心を勝手に知ってしまって疑いようもなく事実だと突きつけられて、ただでさえ気恥ずかしさと罪悪感に身悶えているのに。
様々な感情の嵐に翻弄されている俺に、ドロシーが退路を断つように告げた。
「あら、夜明けです。女神様がいらっしゃったようですわ」
「!!?」
「ほら、女神様がお待ちですわ。さ、御使い様」
「うう、うっ…!!」
毎日見送ってくれるドロシーの笑顔が、今日はいつもより慈愛に満ち溢れて、とても、非常に楽しそうだった。対する俺は肌の熱さと汗が冷える感覚が増していく中で、初めてストライキを起こしたい衝動に駆られていた。
こんな顔で、こんな頭で、どう会いに行けばいいんだ!!
その後、せめてお茶を飲み干してからとみっともなく居座ろうとする俺と、からかいたいのか女神さんのためなのか急かすドロシーとの攻防が繰り広げられる。結果は、まぁ、言うまでもない。
ーー日常が過ぎていく。
誰もが安らぎの中で、陽の光に温められるように穏やかに、全てが良い方向に向かっていくと、予感していた。
光の下には影が伸びていく、そんな当たり前の事に誰も気付けないまま。
スポンサーリンク