【創作小説】女神さん、寝てください!⑤

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「春野、まだアレ、アレ回ってきてないけど」

「……来週の会議資料ならまだですが、」

「まだァ?来週使うんだから今週中に回すのが当たり前だろ!今日中に仕上げて明日には間に合わせろよ」

 

今仕事が他に仕事が山積みにされてるのが見えていないのだろうか。今週の月曜に会議の前日までに間に合わせろとメールが残っている。来週水曜の会議までにまだ一日の猶予はあったはずだ。あと明日は土曜日でお前出社しないだろう、今日中に仕上げる意味は果たしてあるのか。ちなみに私は出社予定だ。日曜もな。なんだ、まだ三日も猶予があるじゃないか、間違えたよアハハ。それと反応が鈍間と目で語る前に仕事の支持をアレだけで済ますのをやめてくれ、格段に反応速度があがるから。

 

「申し訳ありません。すぐに仕上げます」

 

心の中で罵詈雑言を並べようと口からは出しませんよ。社会人ですから。

営業スマイルに対する上司はそれはそれは不愉快さを隠す素振りもなくさっさと帰っていった。まだ数人残っている事務所の張り詰めた空気が僅かに緩んで私も思わず溜息が漏れる。

パソコンの画面を囲うようにベタベタと貼られた付箋の中から「会議資料月曜まで」と走り書きされた一枚を剥がす。

今日は絶対終電前に帰る。苛立ちを込めながら小さく丸めてゴミ箱に捨てた。

 

私の名前は春野恵、二十六歳。

名は体を表すというけれど、ぽかぽかと温かく人当たりも良さそうで優しげな名前に対して私自身の性格は全くの逆で、陰気で気ばかりが強く、人とのコミュニケーションは社会人になるよりも前からずっと悩まされ続けている。

恵まれているところなど特筆する所も無い、人の出入りの激しさを演出するために駅前を歩いているような、道端の石ころのような光るものも無いごくごく普通の一般人だ。

 

ここ数日、かなり奇妙な夢を見て悩まされている。

悩み、と言っても深刻な悪夢というわけではなく、人に話したら贅沢だと逆に諭されてしまうかもしれない。ここ数ヶ月仕事場以外で喋る機会が無く職場にも雑談に興じる仲間もいないので、諭してくれる人もいないのだけれど。…ちょっと涙が出てきた。

 

「女神さん!今晩も会えて、嬉しいです」

 

思考に耽っていると爽やかな声が今晩も現れた。

今晩も。この現実に存在するとは思えない絶世の美少年と会うのは、初めてではない。もう一ヶ月ほど毎晩、眠るたびに彼と出会う。

出会う、というより信じられない事に彼が私に会いに来るのだ。

職場の夢だろうと部屋で過ごしている夢をだろうと、今日は行ったこともない戦場でだろうと扉から入ってくる。今回のように夢の舞台が屋外なら床から現れることが多いが、土に覆い隠されたシェルターのような扉から戦場に不釣り合いな綺麗な顔を覗かせた。

 

「今晩はまた…すごい夢を見てますね」

 

大小問わない岩が転がった土埃が舞う荒地を見渡して、辺りに血が飛び散り布を被った不審物が遺体だと気付いたのか彼は青褪めている。

夢の中の出来事だからか私は状況を理解してもぼんやりとしか認識出来なくて、そうだねと頷く。

常に仕事に追われているせいか職場にいる夢が多く、彼と出会うのも必然的に職場ばかりだ。時々見慣れない風景になると彼は興味津々と周りを見ている。私室だった時は顔を真っ赤にして大慌てで目を塞いでいたのは可愛かった。

 

そう、この毎晩やってくる可愛らしい彼が私の悩みの種である。

初めて会ったのは確か、職場で仕事に追われている最中つい転寝をしてしまった時だ。

一分未満の僅かな邂逅だったけれど、美しい彼の顔立ちに見惚れてしまった。やたら心配してくれていたが、夢だと自覚してすぐに目覚めたからほとんど会話は交わしていない。

そんな夢が不思議と頭から離れず、良い夢を見たなと浸る隙も与えず次の晩に眠るとまた彼に再会した。

「オスカーと呼んでください」と美術品と並べるほど精巧な顔を柔らかく崩して名乗ってきた。思わず何人の女性を騙してきたのかと言いたくなった。

オスカーは何故か私を女神さんと呼ぶ。

女神だよ、女神。聞き間違いかと思ったが合っていた。私の名前は恵で一文字しか違いがないが、そんな大層なあだ名も呼び名もつけられたのは人生で初めてだった。しかもとんでもない美少年から。さらにその美少年は私に追い打ちをかけるようなお願いをしてきたのだ。

 

「俺は貴女の夢の中だけの存在です。だから、その、できるだけ、できるだけでいいので、いっぱい俺と会ってください!」

 

顔を真っ赤にして懇願してきた彼は、あまりにも突拍子のない言葉に呆然としていた私が困っているように映ったのか、「迷惑なのはわかってますが…お願いします」と完全な追い打ちをかけてきた。

わかったよ、降参する。俺の負けだ、なんて私が海外映画の主人公や魅力溢れる悪役であればサラリと告げられるだろうけど、咄嗟に出たのは「迷惑じゃないです」と絞り出すような小声だった。

彼は安心したように破顔していた。まるで花でも咲かせられそうなほど、真っ直ぐに向けられた表情は心底嬉しそうに見えた。

 

こんな現実逃避をしてしまうなんて、どれだけ疲れていたんだろうと頭を抱えた。その疲れは残念ながら一ヶ月経った今も継続したままだ。

美人は三日で慣れると鼻で笑っていられた一ヶ月前の私に忠告しておきたい。慣れてからは雑談を交わせるようになったけれど、慣れるまでは彼の一挙一動にみっともなく動揺する事になるぞと。

 

「俺、最近夢占いをよく調べているんですよ」

「え?何突然」

「女神さんっていつも夢を見ているので、ひょっとしたら夢に意味がありそうだって調べてたら、夢占いってものを知ったんですよ」

 

ぼんやりと赤黒い空を見上げている間にオスカーは適当な岩を椅子にして腰を落ち着かせていた。

いつも通り雑談をするつもりだろうか、夢とはいえこの戦場の真ん中で。心臓に雑草でも生えているのではないか。いや、夢から夢占いに連想ゲームが成立してしまった彼の場合はたんぽぽが咲いていそうだけれど。

 

「よくお仕事をしてたり、部屋にお邪魔したら真っ暗だったり…その、あまり良い意味ではなくって…」

「今日なんかは特に悪夢って感じよね」

「悪夢ってほどじゃないですよ!!今日のはまたあとで調べますけど、ちょぉぉっとお疲れだったり、頑張り過ぎているのではないかって診断が出てるんで、心配で」

「まぁ、ブラック企業勤めだからねー悩みはそこそこ思い当たるわ」

 

オスカーは明瞭快活に喋る青年だ。そんな彼が口籠るほどに言いにくいらしい言葉をあっさりと口にすると、わかりやすく頷きながら良い反応を示してくれて、思わず苦笑が漏れる。

 

「辞めろって?」

「女神さんは仕事出来る人なんですから、もっと良い条件の会社に行けますよ」

 

夢は願望の表れ、なんて話もある。

こんなに綺麗な異性が懸命に自分を想ってくれる。優しい言葉で優しい世界を語り、幸せを願われる。都合の良い妄想だ。

 

「現実では無理よ」

 

今の会社に就職するまで、一体いくつの企業を回ったか。何枚の履歴書を出したか。お祈りメールを何十回見たか。内定が決まっていく仲間を祝いながら何百回妬んだか。

いざ働いてみれば飲み込みが悪い言われ、任された仕事を就業時間内で片付けきれず、どうしようもない体たらく。現状に不満があろうと、他でやっていけるわけがない。私の実力は私がよくわかってる。

オスカーが私の妄想の産物であれば、理解しているだろう。

オスカーが私の都合のいい人形だったなら、抱き締めて慰めてくれるだろう。

皮肉げに笑う私を見て彼は形の良い眉を悲しそうに顰めて口を開く。

 

「女神さんからいつかキノコが生えてくるんじゃないかって心配になります」

「その心配の方向性は予想外だったわ」

 

これである。

眩し過ぎる程の造形美からは私の予想の斜め上を行く所帯染みた言葉が飛び出してくる。

 

「心配ないと思いますが、安心するために転職の練習しましょうか」

「えー」

「すぐじゃないですよ。俺は就活についてよく知らないので、勉強した後、今度ですよ?それまでにやる気を出しておいてくださいね」

「んー」

「俺の予行練習に付き合うと思って、そこをどうにか」

「まー」

「あっ、また変な生返事してる!ちゃんと聞いてくださいよ!」

 

まるで、生きている人間みたい。

彼が夢に現れることに慣れ始めるとそう思う頻度が増えていった。

 

「ねぇ、聞かせてほしいんだけど」

「何ですか?」

「オスカーは本当に夢の中だけの存在なの?」

「そうですよ」

「私の妄想から生まれたってこと?」

 

ぱちり、と碧眼を瞬かせる。

 

「んん、んんんん〜〜〜〜〜………」

 

とてつもなく困っている。

自分の顔をぺたぺたと触ったと思ったら今度は頭を抱えて髪をくしゃくしゃにしている。はい、いいえで簡単に答えられる質問なはずだが、随分と悩ましそうな悶絶っぷりだ。美形は困っていても美形で得だな。

 

「半分は、そうかもしれません」

「半分?」

「俺、本当はこういう顔じゃないんです。外見で詐欺していたんです」

 

ごめんなさい、と素早く立ち上がった彼が頭を下げてきた。

対して私は、これまた予想外の返答と謝罪を受けて面食らってしまう。どうやら私は騙されていたらしい。

 

「ふーん…」

「ま、またそんな生返事をして…本当ですよ?荒唐無稽な話だし証拠は見せられませんけど、本当はこんなイケメンなんかじゃなくって、むしろ普通の日本人顔で、女神さんを、騙して、誑かしていたんですよ!」

「いや、疑ってるわけじゃなくて、騙されたと思ってないだけだから」

 

今度は彼が面食らったようで目を丸くしている。

外見を偽っているという彼の発言は確かに荒唐無稽だけれど、まぁ夢だし、と一言で片付いてしまう。確かに彼の外見は非常に好ましいから、ただの幻想だと知るのは少々寂しくはある。

 

「詐欺って言われても、私が何か損したわけじゃないし。オスカーは嘘をついて私を騙し続けられたのに、嘘をついてまで騙したくはなかったんでしょ。まぁあんたの顔で絆されてる部分は多かったけど、良い部分は顔だけじゃないしね」

「た、たしかに体も本当の俺と違ってすごく良いですが…」

「そこじゃない」

 

何故か恥ずかしそうに口籠る彼の様子に呆れつつ、自然と笑みがこぼれる。

ここ暫く、私と雑談に応じてくれる人はいなかった。優しい言葉を選んで、心を配って、真っ直ぐな気持ちと笑顔を惜しみなく与えてくれる人と触れ合う機会が全く無かった。

彼と出会うまでは。

 

「貴方は、今の姿とは別の姿で生きてる人間なの?」

 

だから彼が、ただの私の妄想の産物だと思うとどうしようもなく寂しかった。

たったの一ヶ月程度で私の中で彼との時間がかけがえのないものになっていた。だけど、それを相談出来るような人がいないことを抜いても相談出来る内容ではないし、直接伝えた途端消えてしまうのではないかと不安を感じた事もあった。

雑談の延長のように気軽に尋ねたけれど、思ったよりも勇気を使ったようだ。耳の奥でドクドクと早い脈を打っているのが聞こえる。

 

オスカーが小さく頷いた。

騙していたという罪悪感を滲ませた申し訳無さそうな表情で。

 

「……幻滅、しましたか?」

「安心した」

「えっ」

「あー安心したぁ〜〜〜…」

 

彼の返答を聞いた瞬間、体から力が抜けて膝から崩れ落ちた。

べしゃ、と地べたに座りながら脱力感に浸り、オスカーの焦ったような声を聞き流す。

 

奇妙すぎる話だが、毎晩私の夢に現れている彼は現実に存在しているらしい。

彼の話の通りなら外見に相違があるらしいが、まぁそれほど気にはならないだろう。多分、実際を見てからでなければ断言できないが。

泡沫のように消えてしまう幻ではなないとわかっただけでこれほど安堵するほどに、失いたくなかったらしい。

 

「だってさぁ、あんたがただの幻覚だったら滑稽にもほどがあるでしょ。壁に向かって話しかけてるレベルの痛い感じじゃない、痛いどころかもう本当病院に行くしかないとか思ったわよ」

「あの、本当に見た目が全然違うので、ある意味では幻覚なんですよ」

「だーかーら、外見はどうだっていいのよ。貴方が存在してるってだけで、私が嬉しいの」

 

いつまでも外見詐欺を働いたと主張し続けるオスカーを黙らせようと恥を忍んで、かなり恥ずかしい事を言った。

恥をかいた甲斐あってオスカーは驚いたように目を見開いて黙る。何かを言おうとして言葉を失ったのか口を開いたまま赤面し、オットセイの真似事をしている。イケメンはどんな間抜けな事をしてもイケメンだ。

 

「実は幽霊だったとか?」

「しっ死んでませんよ!生きてます!」

「そう。オスカーの本当の顔ってどんななの?」

 

知りたい。そんな眼差しを向けると彼はすぐ読み取ったようで狼狽えていた。

「普通です」と弱々しく呟いたけれど、まぁ気持ちはわかる。今目の前にいる美少年の後だとそこそこ整った顔だとしても霞むだろう。

 

ただぼんやりと、現実でもこの少年に会ってみたいと、そんな風に思った。

 

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